読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

SoflanDaichiのサブログ-ちょっとまじめなInsania-

文字数制限のないTwitter的なノリで、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書き綴っています。

芸術の条件 それは絶望 -タルコフスキー『ストーカー』-

先週今週と、久々にタルコフスキーの作品を観る機会があった。以前に何度か観たことのあるものもあれば、初見の作品もあったのだが、今日初見で観た『ストーカー』がとても感慨深い作品であった。よって、それを忘れないうちに記録しておこうと思った次第である。

タルコフスキーという人は、本当に美しい映像を撮る人である。どのシーンを切り取っても、まるで一枚の絵画のようであり、それが映像の詩人と呼ばれる所以であろう。

f:id:SoflanDaichi:20170224194340p:plain

f:id:SoflanDaichi:20170224194358j:plain

 

タルコフスキーの作品に共通して言えること、それは、物語性の希薄さであり、描かれ方が常に象徴的ということである。ハリウッド作品のような派手な演出や展開は一切ない。こちらにも人生の提出を要求してくるインタラクティブな作品ばかりである。受動的に、ただ物語に身を浸すことを求める人には向かないだろう。

そのせいもあってか、難解だという意見が結構あるようだが、そんなことはない。こちらが何かを問いかければ、必ず応えてくれる作品ばかりである。黒澤明は言う、「タルコフスキーは難解だと言う人が多いが、私はそうは思わない。タルコフスキーの感性が並外れて鋭いだけだ」と。

 

そして今日取り上げる作品は、『ストーカー』である。

f:id:SoflanDaichi:20170224202715j:plain

毎度のことながら映像の美しさは勿論、色んな解釈が出来そうな作品であると感じた。160分という長さも一瞬で過ぎてゆく。以下、簡単なストーリーを。

 とある小国に、謎に包まれた“ゾーン”と呼ばれる地域があった。立入禁止になっていたが、そこには、人間にとって一番大切な望みがかなえられる“部屋”があるというのだ。そして“ゾーン”に踏み込むという大胆な行動をとる者が出現した。案内役は「ストーカー」と呼ばれている男だ。止める妻を説得し、今“ゾーン”へと出発するストーカー。「作家」と「教授」と名乗る二人と待ち合わせて“ゾーン”に向かう三人。境界地帯に待機していた警備兵の銃弾をくぐり“ゾーン”への侵入を果たす三人。そこにはこの“ゾーン”を探るためにこれまでに送り込まれた軍隊の戦車や人間の死骸が無残にさらされている。水に溢れた“乾燥室”を通り“内挽き器”という恐しいトンネルをくぐり、ついに“部屋”にたどりついた。しかし、踏み込む瞬間、教授が、自分で造った爆弾を取り出し、“部屋”が犯罪者に利用されることを避けるために、“ゾーン”爆破を目的としていたことを告白した。“ゾーン”を支えに生きてきたストーカーはその爆弾を取りあげようする。そのストーカーの態度に疑問を感じる作家。彼ら自身“部屋”に対する考えが、徐々に変化をみせる。“部屋”は、いったい彼らにとって、いかなるものであったのだろうか。自ら自身にもわからないのである。(Movie Walker)

 ストーカーとは、そこに辿り着けば願いが叶えられるという「ゾーン」への案内人のことである。そして、案内する行程の中で分かってくることは、ストーカーはゾーンに対し、愛と畏怖の念を抱いているということ。そのため、「作家」と呼ばれる男がゾーンにおいて武器を使おうとしたり、酒を飲もうとすると必死の形相でそれを止めようとする。「罰が当たるから」と。そして目の前に見える目的地へも、あえて遠回りのルートを選びながら進んで行く。彼は「遠回りのほうが近道ということもある」と意味深に語りながら。

途中「肉挽き器」と呼ばれる不気味な細長いパイプ状の通路を通る。ストーカーが、「先生」と昔呼んでいた先輩ストーカーの弟が、過去にそこで殺されたということを語る。

ゾーンにあるのは、絶対的な不条理さと、圧倒的な深淵さである。「ゾーンには複雑な罠があり、その罠に掛かれば命はない」さらに「来た道を後戻りすることも許されない」とストーカーは言う。

そして私が一番気になったこと、それは「ストーカーは案内人という役割であるにも関わらず、教授や作家より前を歩く事は一切ない」ということである。最初から最後まで、常に一番後ろに立ち、進むべき道を後ろから教えるだけなのである。

 

これらのことから私が考えたこと、それは、

「ストーカーとは''芸術家''のことではないだろうか」ということである。

人間を真理へと導く、それが芸術家の使命である。

芸術とは人間にとって絶対的に必要なものなのであろうか?答えは「殆どの人間にとって必要ではない」いや、「なくても全く困らないもの」であろう。何の迷いもなく、日常を安定的に送れている者にとって、芸術の必要性など全く以って皆無である。

しかし、それ無しでは生きられない人間、芸術の必要性に心を蝕まれてしまった一部の人間にとって、それは命を懸けても闘い取らねばならないもの、それが芸術なのである。そしてその人間たちをその世界まで導く水先案内人、それがストーカー(芸術家)なのである。彼らは、決して前に立ち先導はしない、進むべき道を示してくれるだけである。それは、己の力で闘い取らねば意味がないことを知っているゆえにである。

だが、なぜ芸術には案内人が必要なのか。それは、芸術というのは毒や痛みを多分に含んだものだからである。岡本太郎さんの言葉にこんなものがある。「芸術は綺麗であってはいけない」「綺麗と美しいは違う。美しいものというのは時に人に痛みを与える。特に惰性的な人間には」つまり、普通の人間が最初触れるには、ナマの芸術というのは毒や痛みが濃すぎるということ。そして芸術家は、最初それをある程度中和した状態にしてその耐性のない者たちに提示してあげる必要がある、つまりは案内してあげることが必要なのである。

ゾーンへの道のりは厳しい、そこにあるのはただ「絶対的な不条理さ」と「圧倒的な深淵さ」である。その環境に対し愛と畏怖の念を以って向き合う。

印象的なシーンがある。道中皆で仮眠を取るシーンがあるのだが、ゆっくり休める場所は他にいくらでもあるにも関わらず、ストーカーは、あえて周りを水に囲まれた窮屈な孤島のような場所で横になるのである。まるで厳しい環境を自ら選ぶように。

f:id:SoflanDaichi:20170224215928j:plain

 

真理を知るということは、とても勇気がいることである。最終的に「願いが叶う部屋」へとやっと辿り着いたにも関わらず、教授と作家は部屋に入ろうとしない。何故か?

実は、先述の「先生」と呼ばれる、弟をゾーンに殺された先輩ストーカーが以前、弟を蘇らせようとして部屋へと入ったのだが、ゾーンが彼に与えたのは大量の札束だった。そしてその一週間後、先生と呼ばれるストーカーは首を吊って自殺した。

ゾーンが叶えるのは「願い」ではない、その人間が「心の奥底で本当に望んでいるもの」である。それを知ってしまったことによって、彼は自分に絶望して自殺したのだ。つまり、ゾーンという芸術への途上を乗り越え、望みが叶う部屋という場所において芸術作品を完成させるということ、それはつまり、本当の自分自身を赤裸々に映し出す魔法の鏡という芸術作品を完成させるということなのである。

シェイクスピアは、「芸術とは自然に向けて掲げられた鏡だ」と言った。ここでの自然(nature)は、本性(nature)と同義であり、芸術作品というのはその人間の内面を、赤裸の現存として映し出すのである。「絶対的な不条理さ」と「圧倒的な深淵さ」というゾーン(芸術)の特性はまさに自然そのものであり、自然もまた、「絶対的な不条理さ」によって惜しみなく奪い、「圧倒的な深淵さ」によってまた惜しみなく与う。この、自然=芸術=真理という構図は、自然を「造られて在るもの(神によって)」ではなく「成り出でて在るもの(神と自然は共に在るもの)」と捉える我々日本人には理解しやすい考え方ではないだろうかと思う。

つまり、教授と作家は、「望みを叶えるということは勇気の要ることだ」というその話を、ストーカーから聞かされたことによって、結果その部屋へ入ることを躊躇ったのである。

「いま望んでいることは、本当に自分が心から望んでいるものなのか」

これは現代社会でも十分に効果を持つテーマなのではないだろうか。

本音を誤魔化し誤魔化し生きているのが人間という生き物なのであり、心を見て見ぬフリをして生きている多くの人間にとって、真理と真正面から向き合うということは非常に勇気がいることなのだ。

最終的には、作家と教授が「ゾーンなんてハッタリじゃないのか」と言い出し、誰も部屋には入らない。案内が徒労に終わったストーカーは、自宅へ戻り思わず妻に愚痴を漏らす。

「ゾーンを誰も理解しない」「誰もあの部屋を必要としなくなることが怖い」「俺は虚しい努力をしているのだろうか」と。

これらの台詞、モノ作りをする人間であれば誰しも抱えたことのある葛藤ではないだろうか。そして、ここからの奥さんの台詞が何とも温かい。

 

ストーカー「もう誰も連れて行かない」

妻「私が一緒に行くわ」

ストーカー「だめだ」

妻「どうして?」

ストーカー「お前まで失いたくない...」

ーそして妻の独白ー

「母は''ストーカーなんて永遠の囚人よ''と結婚には大反対でした。私は幸せになれると信じました。苦労も承知の上で。でも単調な生活よりマシでしょ?後悔はしてません、一度も。それが私たちの人生です。苦しみのない生活なんて虚しいだけです。苦しみのない所に幸せはないんですから」...

 

これらを踏まえた上で作詞の話をしようと思ったのだが、長くなったのでいつかまた。

最後に、ゾーンへの道中で、教授と作家がストーカーに「ゾーンはどういう人間を受け入れるのか」と訊ねた時のストーカーの言葉が印象的だったのでその言葉を。

「私もよく分かりませんが、ゾーンは絶望した人間を通すように思います。善悪に関係なく、不幸な者を...」

芸術の条件、それは絶望。